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語彙力が低下の一途を辿っていたので記録も込めてはじめました。

怒り

自分が少しでも不利な状況や忙しくて大変な状況に陥ってしまったとき、いつも私の心にジワジワと攻めて来る嫉妬と羨望の気持ちが大切な人ですら敵に変えてしまう。

 

20年と少し生きてきてもまだ幼稚で、『ずるい』『なんで私だけ』と思う私がいる。

社会人に片足を踏み込んでいながらこうなのだからなんと私は浅い人間なのかしら。と悩む。

 

この状況を作り出したのは半分は自分の責任であとの半分はその時どきに躓く言動や行動を起こす相手のせいなのだが、いかんせん相手を憎く思ってしまうバロメータが半分の境を越えて振れてしまう時がある。

 

相手のしたなんてことないちょっとした失敗にも寛大な心が示せない時がある。自分の劣等感と罪悪感が形を変えていつの間にか相手を敵にすることで見えなくさせているのだ。

怖い。自分が怖い。

 

相手が悪くないというわけではないのだが、いつの間にか違う悪い面が見えてきてダメだ。悪いところをさらに上塗りする自分の卑しい心が余裕のなさを物語っている。

 

卑しさが満杯になってハッとする。そこでやっと自分の間違いに気づく。

相手がやったのはたったこれっぽっちのことじゃないか。わたしはどうしてあんな嫌な感情でいっぱいになっていたんだろう。

負の感情で押し込められているときの人間ほど醜いものはない。だれも助けてはくれないし、気がつけば周りに誰もいなくなる。

 

負の感情に負けそうになるときいつも愚かな自分について考える。

問題をすり替えてはいけない。

 

そういえば、醜い感情で溢れるくらいなら偽善者で自分を騙しながら生きた方がいいと言った人がいた。えらい立派な人だと思った。

私は怒りで偽善行為も出来ない…とんだお子ちゃまである。冷たく当たってしまったり、さぞ困ってますというような雰囲気を出してしまう。

 

怒りが峠を越してやっとそんな自分を恥ずかしく思い、貴方を想ってますよと偽善行為をしだす。バカな女。大切に想っているのに大切に出来ない。

 

怒りや悲しみの感情に振り回されずに、全てを超越した存在になってなんでも許せる人になりたいものだ。

あと倍以上は生きないと無理そうだナ。

だけど、まぁまだ二十代…背伸びせずに学んでいくものなのかもしれない。