断捨離ということを
わたしは物が捨てられない。
いいや、正しく言うと物を捨てるのが面倒くさくて捨てられない である。
昔から私は極度の面倒くさがりでいろんなことを要領良くこなすことに心血を注いできた。
要領良いと言えば言葉が良いけれど、
出来そうなことはなんとなくやったらできて、出来なさそうなことには手をつけないなんともずるい生き方をしてきた。
整理が面倒くさいから収集癖もなく、
掃除が面倒くさいから人形やぬいぐるみは部屋に置いてないし余計な物も買わない。
日本中が熱狂したポケモンGoですらポッポを3匹捕まえたところで飽きた女だ。
この極度の面倒くさがりは治そうとして簡単に治るものではないことは22年の歴史が物語っている。
しかし、来年春から上京する身としてはここらで一旦断捨離をする必要がでてきてしまった。
まさか、そのまま家を出るわけには行かまい。
まぁ22年も生きていれば自然と物は増えるのだが、今の私の生活に必要な物は本棚とタンスとバックパックそれぞれ一個分に集約されてしまうだろう。
今私の部屋を占拠している物たちは殆ど捨てなければならないのである。
とすると物を捨てるのが億劫でならない。
文鎮の如く長年佇んでいる学習机の引き出しの中には、未だに小学生の時のメモ用紙やら遊び道具が鎮座している。
押入れを開ければ鍵盤ハーモニカやら絵の具セットが躍り出てくる始末だ。
殆ど勉強しなかった可哀想な私の机よ、君と真正面から向き合うことが怖くて仕方ないよ。
押入れもいつも適当に入れてごめんよ。
わかる人にはわかるだろうが、職場ではさも綺麗好きのように振舞って掃除をしている私。
何故かこの振る舞いが家ではできない典型的ダメ女である。
自分の物と公共の物とでどうしてこんなに意識が変わってしまうのか。
終止符を打ちたいとは思っている。
打てるかはわからないけれど。
基本お気楽な私の脳みそは、問題を先に先にとする癖があるらしい。
先日はやっと重い腰を上げてPCとHDDの整理をした。
というかPCを修理に出すタイミングでやらざるを得なかったからだが。
機械の中だけですら面倒なのに、22年分の荷物を整理するだなんて!
想像したらゾッとするものだ。
散髪をして元気に暮らせるようにはなっても、元気に整理するテンションを私にくれることはなかった。
あぁ、こんなことを考えていたら雨が降ってきた。
もう無理だ。今日はできない。
自分に対して軟弱な私は気持ちが熱くなるのも冷めるのも実に速い。
今度の休みは私の気持ちを断捨離に駆り立てるよう是非とも晴れてくれよな。