ブログ

語彙力が低下の一途を辿っていたので記録も込めてはじめました。

かっこわるい女

 

かっこいい女とかっこわるい女

 

この違いは細部までこだわれるかにかかっていると常々思う。

 

私はそういう意味ではかっこわるい女だ。

洋服を買う時にはこれこれこういう服が欲しい!それ以外のデザインはいらない!くらいのこだわりが自分にもあるくせに

いざシャツを着るとアイロンも当てないからしわくちゃのままで。

お気に入りの服も適当に洗濯して着倒してしまうから気づけば毛玉だらけのだらしない服に成り下がってしまう。

手持ちのニットはほぼ全部ヨレヨレだ。

もったいない。非常にださい。

 

このようなかっこわるいエピソードは数をあげればキリがない。

小汚い洋服に身を包む私はどこか卑屈で滑稽だ。

街中のショーウィンドウにふとうつる自分の姿がとんでもなく不細工なのは見間違いではない。

 

かっこいい女というのは自己演出の力に長けている。

もちろん、小汚い洋服なんか着ない。

髪型もメイクも持ち物も適当にしない。

 

奴らはどういう着こなしをすれば自分を最大限魅力的にみせれるかを知っている。

たとえ全身ユニクロだってH&Mだって最強のおしゃれファッションになる。

 

そういう人にずっとなりたかった。

どうしてこだわれないのだろう。

 

答えは分かっている。自分に自信がないからだ。

かっこよくない私がかっこいいことをしてもサムイ。

そんな自分への批判が意識下で渦巻いている。

 

私らしさとはなんだろう。

 

自分を知らない私はいつまでたってもかっこわるい女のままで。

 

この歳になっても自己分析ができていないだなんて恥ずかしいことこの上ない。

自己分析をしてしまうと今の自分がどれ程醜い立ち位置かを理解してしまう。それが怖いのだ。おそらく気づいているのだが、気づかないふりをしている。

 

そういった積もり積もった自分への批判が止めどなく押し寄せている時点でかっこよくはなれないだろう。

 

自分が好きな奴とか自分に自信がある奴の言うことは好きじゃない。

自分の存在が惨めに思える。

 

でも、そんな人たちは眩しいくらいかっこいい。

 

どうしてこんな卑屈な人間になってしまったのだろう。

 

私ももっとこれが好きだと大声で言いたい。

 

もっと私らしく生きたい。

 

どこかにいいきっかけが落ちてないかなといつも考える。

ーー痩せたら変われるんじゃないか。

ーー新しい環境に行けば変われるんじゃないか。

ーー恋愛をすれば変われるじゃないか。

 

きっかけを探しているようじゃかっこいい女になるまでの道のりは長い。

かっこいい理想だけもくもくと成長し、努力はミジンコ以下の女がどうしようというのだ。

 

とりあえず目先のことから頑張るしかない。

自分を好きになれるようにしないと。

このままじゃこの先稼ぐようになってどんなに高価な洋服や化粧品で身を包んでも心は晴れない。

 

こだわっているからこそ自信が生まれる。

こだわっているからこそ納得がいく。

こだわっているからこそ私は私でいられる。

 

ここ数年の目標はかっこいい女になるーーだ。

見ていろ、今の自分。

 

断捨離ということを

 

わたしは物が捨てられない。

 

 

いいや、正しく言うと物を捨てるのが面倒くさくて捨てられない である。

 

昔から私は極度の面倒くさがりでいろんなことを要領良くこなすことに心血を注いできた。

 

要領良いと言えば言葉が良いけれど、

出来そうなことはなんとなくやったらできて、出来なさそうなことには手をつけないなんともずるい生き方をしてきた。

 

整理が面倒くさいから収集癖もなく、

掃除が面倒くさいから人形やぬいぐるみは部屋に置いてないし余計な物も買わない。

 

日本中が熱狂したポケモンGoですらポッポを3匹捕まえたところで飽きた女だ。

この極度の面倒くさがりは治そうとして簡単に治るものではないことは22年の歴史が物語っている。

 

しかし、来年春から上京する身としてはここらで一旦断捨離をする必要がでてきてしまった。

まさか、そのまま家を出るわけには行かまい。

 

まぁ22年も生きていれば自然と物は増えるのだが、今の私の生活に必要な物は本棚とタンスとバックパックそれぞれ一個分に集約されてしまうだろう。

今私の部屋を占拠している物たちは殆ど捨てなければならないのである。

とすると物を捨てるのが億劫でならない。

 

文鎮の如く長年佇んでいる学習机の引き出しの中には、未だに小学生の時のメモ用紙やら遊び道具が鎮座している。

押入れを開ければ鍵盤ハーモニカやら絵の具セットが躍り出てくる始末だ。

 

殆ど勉強しなかった可哀想な私の机よ、君と真正面から向き合うことが怖くて仕方ないよ。

押入れもいつも適当に入れてごめんよ。 

 

わかる人にはわかるだろうが、職場ではさも綺麗好きのように振舞って掃除をしている私。

何故かこの振る舞いが家ではできない典型的ダメ女である。

 

自分の物と公共の物とでどうしてこんなに意識が変わってしまうのか。

 

終止符を打ちたいとは思っている。

 

打てるかはわからないけれど。

 

基本お気楽な私の脳みそは、問題を先に先にとする癖があるらしい。

 

先日はやっと重い腰を上げてPCとHDDの整理をした。

というかPCを修理に出すタイミングでやらざるを得なかったからだが。

 

機械の中だけですら面倒なのに、22年分の荷物を整理するだなんて!

想像したらゾッとするものだ。

散髪をして元気に暮らせるようにはなっても、元気に整理するテンションを私にくれることはなかった。 

 

あぁ、こんなことを考えていたら雨が降ってきた。

 

もう無理だ。今日はできない。

自分に対して軟弱な私は気持ちが熱くなるのも冷めるのも実に速い。

 

今度の休みは私の気持ちを断捨離に駆り立てるよう是非とも晴れてくれよな。

 

男になった

 

髪を切った。

 

しかも、ベリーショート。

人生で最短。

 

それまでの私はうざったいロングのパーマをパサパサさせていたのだが、覚悟を決めた。

最近仕事もうまくいかないし、加えて体調も良くない……

積もり積もった鬱憤が形になっているかのようなパーマ頭を一新してみたくなったのだ。

 

新しいことをするのはおもしろい。

美容院に行くと髪を切るときは思い切り切ってしまう。髪を染めるときも思い切り。

 

ーーさぁ、長年連れ添った髪の毛よ、さようなら。

 

 

ハサミを入れてもらった瞬間に後悔した。

鏡の前には男がいた。しかもおっさんだ。

 

あぁ何てことをしてしまったんだ。私の女と判別できる部分は髪の毛で出来ていたのか。

わたしの思い上がった女としてのプライドがバラバラと崩れていった瞬間であった。

 

いろんな角度で自分を見てみる。

ロングヘアで知らずに隠されていた部分が見事に丸ごと露出している。

 

そのせいで髪を切った日から顎の肉が気になって仕方ない。

今まで好き放題食べていた美味しいごはんたちが敵に見えた。ノロウイルスにかかった日以来の出来事である。

 

だが、そんな憎きショートヘアも数日経つとなれるもので、自分に似合っているとすら錯覚してきた。

人間の自己愛とは怖いものだ。

 

あれからダイエットも続いているし実はいいことかもしれない。

前々から似合ってなかった可愛らしい洋服も捨てて私は新しく生まれ変われるのだ。

 

男になった私がもう一度女になれるよう、努力しなければいけないことは山積みだ。

仕事第一をやめて、自分も少し可愛がって痛めつけてあげるとしよう。